塾長ブログ

勉強は「楽しく」「長く続けられる」方法で。

生徒を「見習い勇者」「一人前勇者」と表現しました。そう、私はRPG(ロールプレイングゲーム)が好きです。

勉強はつまらないものでしょうか?いやいや、ゲームのように楽しくやる方法はあります。何より、飽きずに長く続けられることが大切です。

ラスボスを討伐(志望校に合格)する、君の物語。私はそれを支えていきたい。

「塾長ブログ」では、そういった私の思いや学習に関する新情報などを紹介します。

 

令和2年7月分

 ともえ塾の藤です。

 先月からブログを始めました。ここに記述する内容は、あくまで私の個人的な見解であることをご承知おきください。

 先月に引き続き、「どうしたら子どもが勉強をするようになるのか」というテーマについて、私の考えを述べさせていただきます。

 テーマ:どうしたら子どもが勉強をするようになるのか


②どのようにして勉強に目的意識を設定するか

 前回は、勉強に限らず、何か物事を成そうとするためには、「目的意識」が必要であるという話をしました。3人のレンガ職人の話を少し振り返りたいと思います。

 3人目の男は、100年後かもしれない大聖堂の完成を見据えながら、歴史的な事業に参加するという目的意識を持って仕事をしていました。このような「将来を見据えた目的意識」というのは、完成時の達成感や日々の充実感が得られることはもちろんですが、困難にぶつかった時に、諦めることよりも、「どうすればうまくいくか」を最優先に考えることができます。

 2人目の男は、家族を養うという目的のために仕事をしていました。正確に言うと、これは「目的意識」というより「必要性」です。必要性が「ある」と「ない」では、物事に取り掛かる動機としては大きな差があります。しかし、やり続けていくモチベーション(意欲)を保つ根拠として「必要性」が有効であるかどうかは人によると思います。「頑張らなければならない」という気持ちがプラスの効果をもたらすこともあれば、精神的に負担になることもあります。

 1人目の男を含め、3人とも収入を得るためにレンガ積みという労働をしている点に違いはありません。しかし、労働の対価として収入を得るというのは現代社会のルールであって、これを「目的意識」とは呼びませんし、1人目の男は2人目の男に比べて「必要性の認識」のレベルも低いと思います。作業をしていて「頑張ろう」という気にならなかったり、達成感や充実感が得られることが少ないというのは不幸だと思います。

 整理しますと、次のようになります。

 「将来を見据えた目的意識」があれば、達成感や充実感が得られるし、困難に立ち向かう力も発揮できる。

 「必要性の認識」があれば、物事に取り掛かる動機になる。しかし、それだけでやり続けていくモチベーションを保つ根拠になるとはいえない。

 「必要性の認識」がなければ、「頑張ろう」という気にさえならない。

 さて、今回は「どのようにして勉強に目的意識を設定するか」という話ですが、その話に入る前に、このテーマの対象とする「勉強」という言葉について定義しておきたいと思います。

 そもそも「勉強」という言葉は「学問や技芸などを学ぶこと」という幅広い意味で用いられます。子どもが習い事やスポーツに打ち込むことも「勉強」です。社会人が仕事上必要な知識を得るために調べものをしたり、資格を取得するために問題集を解くのも「勉強」です。昆虫博士と呼ばれるほど虫に詳しい子どもが、更に知識を求める活動も「勉強」です。ネット動画ばかり見ている子どもが「将来、ユーチューバーになるための勉強をしている」と言えば、これも「勉強」だと私は思っています。

 このテーマで対象とするのは、いわゆる「勉強」、学習指導要領に基づき小中学校で学ぶ教科を学習することに限定します。親が「勉強しなさい」と言っているやつです。

 このような仕分けをしたのには理由があります。

 広い意味で「勉強」に含まれる<習い事・スポーツ・知識習得・資格取得>等は、自ら既に目的意識の設定や必要性の認識をしているということです。つまり、苦しくなったり、価値を見出せなくなったりして途中でやめることはあったとしても、意味もわからないまま始めて、やり続けているというわけではありません。

 一方、学習指導要領に基づき小中学校で学ぶ教科の学習=このテーマで対象とする「勉強」は、自ら目的意識の設定や必要性の認識ができているでしょうか。

 世の中の大人で、「自分は勉強ができた」とか「勉強が楽しかった」という人はいると思いますが、「小中学生の頃から将来を見据えた目的意識を持って、国語・数学・英語・理科・社会を勉強していた」という人は、なかなかいないと思います。

 数少ないと思われる、「将来を見据えた目的意識」を持って小中学生の頃から勉強をする例を2つ挙げます。あくまで私個人が想定した例です。

1 医者の家系に生まれ、跡継ぎになる意志を持った子ども

 医者になるためには医師免許が必要です。小中学生の頃から医師免許を取得するための勉強をしているわけではないですが、医師国家試験の受験資格として大学医学部卒業等の要件が定められているので、大学医学部に入学しなければ始まりません。大学医学部入学は難関なので、小中学生の頃からよい成績を取り、目指す学校に進学するという目標を設定して勉強していると思います。

2 有名大学出身という肩書に価値を見出した子ども

 先日テレビ番組で、中学生になったばかりの子どもが「自分は国立N大学に行きたい。」と語っているのを見ました。実例です。その子どもは、理由を尋ねられて、「将来やりたいことができた時に、国立N大学出身という肩書があれば、きっと実現の手助けになるから。」と答えていました。すごい子どもだと思いました。

 このように、小中学生の頃から将来を見据えた目的意識の設定ができている子どもは少数で、大多数の子どもはそんなこと考えたこともないと思います。そのような段階にある子どもが勉強に目的意識を設定すること自体が難しいと言わざるを得ない、というのが私の結論です。

 そこで、次に考えることは、将来を見据えた目的意識を設定できなかったとしても、必要性の認識はできるのではないかということです。必要性の認識ができれば、物事に取り掛かる動機づけができます。ただし、やり続けていくモチベーションを保つための工夫が必要です。

 つまり、勉強の必要性を子どもが自分なりに納得した上で勉強を始めることができ、あとはそれを続けやすい環境があれば、「子どもが勉強をするようになる」と考えます。

 勉強の必要性-なぜ勉強をしなければならないのか―子どもなら誰もが一度は考えたことがあると思います。よくある親子の会話が聞こえてきそうです。(博多弁でお楽しみください。)

 子:なんで勉強せないかんと?

 親:自分のためやろーが。

 子:いや別に。勉強わからんでも困らんし。

 親:将来困るったい。

 子:将来のいつ、連立方程式とか古文とか左手の法則とか使うん?

 親:…

 これ以上会話が続かない感じです。勉強の必要性を問う問題に1つだけの正答というのはないのかもしれませんが、子どもが自分なりに納得できる答が必要です。

 次回は、「なぜ勉強をしなければならないのか」-勉強の必要性について、私の考えを述べさせていただきます。